As I am.

いつかきっと…に至るまで。

クラシックバレエの「舞台」

みなさんはクラシックバレエをご覧になったことがありますか?話すことも歌うこともなく、音楽に合わせて踊りのみで役目を演じる、非常に繊細な舞台ジャンルです。

おそらく他の劇場舞台ジャンルに比べて、その世界に触れる方はあまり多くないのかな、と僕は思っています。

 

そんなクラシックバレエの世界に、僕は10年ほど身を置いていました。始めたのは確か3歳か4歳ごろ、幼稚園の友人が習い始めたと聞き、僕も習い始めました。

 

子供の身体はとても柔らかいので、開脚や前屈などが容易にでき、柔軟性を持っている状態と言えます。演技する上で、頭のてっぺんから足の指先までを繊細にコントロールする必要があるバレエにおいては、ストレッチなどを欠かさず、この頃の柔軟性を保ったまま大人へと成長することが非常に重要なのです。

しかし、僕は成長と共にその柔軟性を失っていきました。

なぜでしょう。

簡単です。ストレッチをサボったからです。当たり前。「なぜでしょう」じゃないんだよ。

これについては今でも後悔しています。必死に硬い身体を伸ばして、柔軟性を取り戻そうと遅めの努力をしています。遅すぎます。

 

こうして硬くなってしまった僕の身体は、バレエの繊細な演技に向かなくなっていきました。先生を怒らせてしまい、レッスンを止めてしまったこともありました。

ただ、繊細な演技ができなくなった僕を先生は見捨てませんでした。

 

ある日、先生は基礎レッスンの後、いつもと違って生徒たちを横並びで座らせました。

すると先生は、生徒のひとりを部屋の隅へ呼び出し、ヒソヒソとその生徒に耳打ちします。

その生徒は、全員の前へ戻ると無言で何かの仕草をし始めました。

これが終わると、先生は「今の生徒は何をしていたでしょう」と、他の生徒へ問いました。

つまり、先生がひとりの生徒にシチュエーションを与え、生徒はそれを無言で演じ、他の生徒が当てるという、一風変わったレッスンが始まったのです。

 

僕に与えられたのは「なかなか言うことを聞いてくれない大型犬の散歩をする」というものでした。

犬どころかペットすら飼ったことない僕ですが、自分がこのシチュエーションを演じるイメージがその瞬間にフワッと湧いたのです。

腕を何かに引っ張られるようにみんなの前に登場し、その何かに追いつき抱え込みます。抱え込んだ何かをさすりながら、引っ張られてきた方とは逆を指差し、語りかけるような仕草をします。何かはその方向へ動き出し、安堵の表情で歩き出したのも束の間、すぐその何かにまた別の方向へ引き摺られながら退場。自分で言うのもなんですが完璧でした。

そして、この間の楽しさは、ただ美しさを追求する今までのバレエのレッスンとは一線を画すものと言っても過言ではありませんでした。バレエに失礼すぎるのでは?

 

結果的に、先生はこのレッスンを通して、僕が持つ別の才能を見つけてくださったのだと思います。というのも、次の発表会の演目は白雪姫でしたが、そこで僕に与えられた役は、妃(魔女)使いのカラスでした。

この役に求められたのは、とにかくカラスである事と、魔女の恐ろしさをより強く装飾することでした。

妃が鏡に語りかけるシーンでは、カラスはすっかり懐いています。しかし、妃が魔女に化け、カラスの羽を1枚引き抜いて毒林檎の材料に入れるシーンでは、カラスはその恐ろしさにすっかり怯え、暴れ出してしまいます。

 

そもそもベーシックな白雪姫にはカラスという配役はありません。普通に毒林檎を作って食べさせておしまいです。おしまいじゃないです。王子様助けにきてあげて。

先生は、繊細さを欠いた僕の中に「観察力」「再現力」「演技力」を見いだし、カラスという役を作り、与えてくださったのだと思います。あのカラスは何者なんだと、しばらくどこかで話題になったとかならなかったとか。はい。僕です。

 

結果的に、このカラスが僕のバレエ人生最後の役でした。中学に入り、部活動を優先する選択をした僕は、バレエをやめました。

それでも、あのカラスという役、一生懸命演じた「舞台」、僕の輝きを見つけ適役を与えてくださった先生の存在、その全てが今でも僕の宝物です。

 

そして、僕が「舞台」を見る目が変わったのでした。

「素敵だな」から「またあの場に立ちたいな」へと。